永井氏城(ながいしじょう)
永井氏城 築城年元亀・天正年間(1570年~1592年) 築城者永井内膳 種別 山城
三重県伊賀市出後字中出山

訪問日2016年3月

この永井氏城は、平田盆地の東南部の出後集落の南前方に上野市喰代から張り出した通称前山の標高240m、比高33mの丘陵東側の斜面上にあります。

この城の背後の見張り台は尾根の頂上にあって西方を望めば眼下に平田の盆地が開ける。

直ぐ西側には上野市喰代・友生(ともの)に通じる道路があります。

さらに西方の丘陵には岡山氏城と相対し、要衝の地となっている。

「三国地誌」には「永井氏堡(とりで)按ずるに字独鉆山にあり、永井内膳居守」とある。

永井氏は天正の伊賀の乱に参戦した郷士の一人であります。

この城は、丘陵の東斜面にあり、背後の西および南と北側を切り取って土塁とし、前方部の東側は盛土の土塁で囲んでいる。

この東側中央に入口を設け、郭内の北東部に井戸の遺構がある。北東側の下方には三段の切り込み平坦地があり、さらに北方には延長50mほどの堀切が見られる。

西から南にかけて空堀が巡り、その西にさらに土塁を設けている。

また北方へ尾根伝いの100mほどの丘陵先端部には中出山城があります。永井氏城の出城と考えられる。

四方を高さ2m~3mの土塁が囲み40m✖45mの宅内を有し西方中央に出入り口があります。本城と出城の中間には処々に堀跡や土塁跡と思われる遺構があるが、ほとんど壊滅していてその規模も判然としない。
(参考史料 日本城郭大系 その他雑誌)
三重県伊賀市出後字中出山
訪問日2016年3月
この永井氏城は、平田盆地の東南部の出後集落の南前方に上野市喰代から張り出した通称前山の標高240m、比高33mの丘陵東側の斜面上にあります。
この城の背後の見張り台は尾根の頂上にあって西方を望めば眼下に平田の盆地が開ける。
直ぐ西側には上野市喰代・友生(ともの)に通じる道路があります。
さらに西方の丘陵には岡山氏城と相対し、要衝の地となっている。
「三国地誌」には「永井氏堡(とりで)按ずるに字独鉆山にあり、永井内膳居守」とある。
永井氏は天正の伊賀の乱に参戦した郷士の一人であります。
この城は、丘陵の東斜面にあり、背後の西および南と北側を切り取って土塁とし、前方部の東側は盛土の土塁で囲んでいる。
この東側中央に入口を設け、郭内の北東部に井戸の遺構がある。北東側の下方には三段の切り込み平坦地があり、さらに北方には延長50mほどの堀切が見られる。
西から南にかけて空堀が巡り、その西にさらに土塁を設けている。
また北方へ尾根伝いの100mほどの丘陵先端部には中出山城があります。永井氏城の出城と考えられる。
四方を高さ2m~3mの土塁が囲み40m✖45mの宅内を有し西方中央に出入り口があります。本城と出城の中間には処々に堀跡や土塁跡と思われる遺構があるが、ほとんど壊滅していてその規模も判然としない。
(参考史料 日本城郭大系 その他雑誌)
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