井田城(いだじょう)

井田城 築城年不明 築城者酒井氏 種別 丘城
   愛知県岡崎市井田町城山

   井田城には2009年6月に訪問しました。
IMG_0152 (2).JPG
徳川四天王の一人、酒井忠次の城で、酒井氏が代々居城しました。
IMG_0153 (2).JPG
酒井氏の系図をさかのぼると松平氏(徳川氏)とつながっている一族です。
IMG_0154 (2).JPG
酒井氏初代が「酒井広親」というひとで、広親の父が松平郷に銅像がある松平親氏です。
IMG_0158 (2).JPG
以後、二代・氏忠、三代・忠勝、四代・康忠、五代・忠親、六代・忠次となります。
IMG_0157 (2).JPG
忠次は永禄七年(1564年)今川氏の吉田城(豊橋市)を攻め落とし、家康より吉田城主に任ぜられ、以後も各地を転戦しますが、井田城はいつの間にか廃城になっている。
IMG_0156.JPG
酒井氏初代広親は松平親氏と幡豆郡酒井村の酒井与右衛門の女との間に生まれたと伝わる。
IMG_0160 (2).JPG
二代氏忠ー忠勝ー康忠ー忠親ー忠善と続き、七代目の忠次まで井田城にあった。
IMG_0161 (2).JPG
忠次は、永禄七年(1564年)今川氏側にあった吉田城を攻略し、城主に任ぜられている。井田城跡は方形郭跡の城山公園で城山稲荷も建てられている。
IMG_0162 (2).JPG
岡崎発展の歴史には、その基礎に井田城の存在があり徳川三百年の泰平に大きな役割を果たしたのであります。
IMG_0167 (2).JPG
応仁より天文年間までの約百年にわたり特筆される激戦が四回もあります。
IMG_0170.JPG
いわゆる井田野の合戦と云われ、これに勝ち抜いたのでやがて徳川が覇を制することが出来たのであります。
IMG_0172.JPG
ここは岡崎城と大樹寺を結ぶ直線上にあり連携も良く眼下は一望の平野が開け天然の堅塁としての地形を具備して居りこの井田城を守る代々の将兵は強く(私等の祖先)堅忍不抜 勇猛果敢の精神はここで培われ父祖伝来の三河武士の魂を神格に表現し晴明白龍大神と尊称して奉斎したものであります。
IMG_0175 (2).JPG
(参考史料 日本城郭大系 現地案内板 その他雑誌)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック